人が共どもに養う心(供養)
法事の席で50歳を越えた奥さんから、「ご住職さん~亡くなった母が今まで仏さまに毎朝ご飯をあげていましたが、これからは私があげないといけないでしょうか。朝は出かける支度で忙しいので、どうしたらいいでしょうか」という質問でした。エッ・・と思い、私は、「ご飯あげたいならば、あげてあげれば良いし、出来なければ、無理することはないですよ」と答えました。
もし私が「あげないとだめ・・」と言ったら、きっとその奥さんは、お寺さんに言われた通りにしないと罰があたったら、いやだからとブツブツ言いながら、ご飯をあげるでしょう。でもあげてもらう仏さまの立場になってみたらどうでしょうか。文句を言われながらあげてもらって、あなたは嬉しいですか。私なら「あなたの様に、毎日ご飯はあげられないけどごめんね。だけど薫りの良いお線香だけはあげて行きます」と言われた方が嬉しいし、また素直にありがとうと言えそうですが、皆さんは如何でしょうか。
つまり、亡くなられた方にしてあげたいという心、また自分が亡くなった立場になり、どうされたら嬉しいかを考える事により、おのずと供養の仕方が解って来るはずです。仏さまも亡くなる前は人の子、私達と同じ心をもった人間です。全て、「させて頂く」想いから「人が共に養い合う」心が育ち、命ある人間も、ご先祖さまも共に救われる事が「供養」と言う事であります。
野道を歩きながら、水田のあぜ道にフト眼(まなこ)を向けると~彼岸華のつぼみを見つけました~そのつぼみを見ながら、日々生きて行く中で、良い思い出や嫌な思い出、色々な思いが心の底に積もります。そのなかで、あなたには人の為にさせて頂いた事で、喜ばれ感謝されたという思い出がありますでしょうか・・・幾つかあると答えられるならば、あなたの人生はそのままで修行中です。
何故かと言えば、実は自身の命を生かす為には周りの人々の力が必要だからです~衣食住、全て他の人達の恩恵があるからこそ自身が生かされているはずです。
反対に人に怨(うら)まれた思い出があったと気がついたとしたら、今から心改め再出発が必要です。他の人々に、気配りや、労力の奉仕、微笑みでも優しい言葉でもご縁のある人々に喜んで差しだして見て下さい。
その「素直な心」別名に「直心」(じきしん)の思い出を、心の貯金箱に積み立てて下さい。あなたの人生にかけがえのない宝が残ります。
また、自身の良い思いをするために、他人に対して苦(にが)い思い出をせっせと積み立てさせるのは、鬼の貯金箱です。
それにしても昨今の人類は、鬼の貯金箱を大切にしていて恥じない人が増えています。どうしたものでしょう。
朝夕の寒暖の差を感じます~くれぐれも御身ご自愛の上お過ごし下さい・・・ ではまた・・・