謹んで新年のお祝いと安寧を祈りご挨拶申し上げます | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
今月の法話
今月の法話
24/01/01

謹んで新年のお祝いと安寧を祈りご挨拶申し上げます

令和六年正月元旦を迎え先ず以て仁和寺ご本尊阿弥陀如来、鎮守を初め諸堂を参拝ご法楽と共にご挨拶申し上げました。

挨拶は、挨も拶も詰め寄る、迫るという意味です。

最近の親に近隣の人たちにアイサツしない子や、アイサツもまともに出来ない新成人が多いのは我が国民でしょうか~アイサツは社会人としての最低のエチケットです。アイサツの基本はオアシス運動にもありますように、オはよう・アりがとう・シつれいしました・スみません・・・・です。

こんなに単純なる言葉が、時に応じてスッと出てこなくなった社会や学校や家庭はどこかで絆が切れているように思われます。お互いを尊重し合い認め合う何かが欠けているのです。こんなところに、現在の家庭内暴力、幼児虐待、引きこもり、いじめ、教育現場の荒廃があり、ひいては少年犯罪の凶悪化があるといっても過言ではありません。

朝はオハヨウ~よく心さえあれば、ことばや行為は二の次だといわれる向きもありますが、残念ながら心は言葉や行いを通してしか伝わりません。また、形より心ということもいいますが、心は形に込めた方がより伝えやすくなります。

オハヨウ・・・と決まっているから、だれとでも朝の爽快感を分け合えますが、何を言ってもよいのでは悩んで時期を逸します。

次のアリガトウは有り難しです。めつたにない親切をして頂いてもとてもお返しができません・・・と恐縮します。失礼シマシタは、何も知らなくて礼儀を欠きました~お許し下さいというへりくだりです。

最後のスミマセンは美しい日本の情感ことばだと思います。外国人は全てとは申しませんが、めったに謝りません。謝ることは非を認めたことになって、全面的な保証を追わねばならなくなるからです。

ある講演会の記録に、アメリカのデビット・レイノズルさんという大学教授の講演でした。この方は、日本の森田療法という、ノイローゼなどの治療法をアメリカに紹介し、実際に治療に応用して効果を上げている人です。その中で、実例をご紹介したいと思います。

夫婦仲のこじれてしまった、ある夫婦の心理療法をするときに、この教授は、その対象の夫婦にまず、一日に必ず一度は、相手に「サンキュー・ありがとう~」と言うように提案するのだそうです。

仲のこじれてしまった間柄は、この「ありがとう~」の一言が、なかなか言えないのだそうです。「ありがとう~」と言うには、相手に何かいい処を見つけなければならないからです。

こじれた仲では、相手の欠点ばかり目立つものです~不思議なことに、この「ありがとう~」の一言が出はじめると、固く凍りついた二人の間の感情がだんだんほぐれていって、やがて、仲直りが出来て、目出度し~めでだしとなって、やり直しが始まるのだそうです。この「ありがとう~」の一言が出ない夫婦はやがて、行きつく処へ行き、離婚、裁判などと大騒ぎになって、互いに深く傷ついて、その後の人生にも大きく、影響している、などと実例をあげておられました。

ところが日本人は悪くなくても謝ります。とにかく当事者として、自分にも非があったかもしれない、相手に嫌な気持ちをさせたくないという思いやりです。この一つひとつの言葉に、神ならぬ間違い多き人間の「反省」「懺悔」「共生」の智慧が隠されていると思うのですが・・・これも旧人類の愚痴でしょうか。

実は、これらの行為と自身の心は一身同体であるからこそ~改めまして今あるその肉体は、一生お借りしていると念「おも」い感じてこそ、この世で一番大切にしなければならないものであります。

お大師さまは「即身成仏」(そくしんじょうぶつ)今ある自身は仏なんだと説法されました~煩悩だらけの自身だけれども~その煩悩をすこし控える「少欲知足」(しょうよくちそく)お釈迦さまの言葉です~欲望をなくすのでは無く、良い加減「かげん」少し控えて足ることを知る~そこに大切な教えがあると考えます。

自身を大切に反省してみると、素直に「ありがとう~」の言葉が出せないでいるとことに気づきます。

一歩ふみだして「サンキュー・ありがとう・すみません」と口に出して、日々を暮らしてみませんか・・・

本年もよろしく~ではまた       合掌