あと一歩・もう一歩 | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
今月の法話
今月の法話
24/04/01

あと一歩・もう一歩

四月の八日は「花祭り」お釈迦さまのお誕生日です。釈尊はお生まれになると間もなく、七歩~あるかれたと伝え聞きます。本当に歩かれたのかは定かではありませんが、この話の意味するところは確かに深いものがあるように思います。

七歩あるかれたとは、どういう意味でしょうか~私たちはなかなか思い通りの生活を送れません。欲をかき、愚痴を言い、イライラした暮らしをする。こうした心を「迷い」といい、それによって苦しみの生活を送らねばなれません。

その迷いの心には六ッの世界があり、それを六道といいます。

つまり、それは「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人」の世界です。私たちが迷いの心から抜け出せない限り、この苦しみの六ッの世界を生まれ変わり、死に変わりし続けてゆくのです。釈尊はこの苦しみの世界を抜け出し、安らぎの世界を目指すべきことを私たちに諭されました。それが七歩あゆまれた意義なのであります。

七歩目は迷いの世界を越えるという大きな意味があり、何故あの時もう一歩頑張れなかったのか、もう一歩突っ込めなかったのか・・・そう悔やむことが多いというのが、迷いのしるしでもあり「あと一歩」に泣く私たちです・・・

江戸時代の俳人に松尾芭蕉が、奥の細道の旅の途中の句に「あらたふと 青葉若葉の 日の光」という俳句があります。

青葉若葉にきらきらと輝く日の光をながめ、「あらたふと」という感嘆の言葉を発し、それに手を合わせている姿が思い浮かびます。新年に、初日を拝もうとして、海や山へ出かける人は多くあります。

しかし、木漏れ日に感動し、青葉若葉の輝きに心をうたれ、その恵みに合掌する人は何人いるでしょうか。芭蕉が、青葉若葉にふりそそぐ日の光に、「あらたふと」と感動し、すなおに手を合わされた。

このようなことが、現代を生きる人に、一番忘れられていることではないかと思います。「おかわりございませんか」「おかげさまで」と、挨拶としての「おかげさま」という言葉はよく使われますが、心からおかげを頂いているかというと、上すべりぎみの言葉となることが多いように思います。

大きな恵みは、気づかずに、あたりまえと思っているということです。私たちは限りない大自然の恵みの中に生かされていますが、その恵みに気づかずにいることがほとんどです。

お釈迦さまの教えはあと一歩前に進む迷いのない心の安心(あんじん)を得・・もう一歩は芭蕉の感謝の心をもって、おかげ(み仏の光)を心にしっかりと頂く、それが、お陰さまと合掌する姿です。

大自然の限りない恵みをいただいていることに感謝し、日々の暮らしをしたいと思います。

(歩く)とは、止まることが少ないと書かれています~ゆっくりと・・ゆっくりと・・・

ではまた・・・・