明るく生きる
毎年のお祝いの言葉でございますが、今年こそ良い年でありますようにと・・・初詣などご参拝になられた事と存じます。
新春を寿(ことほ)ぎつつも、昨年はいつのまにか初心を忘れてしまい、あれこれ計画倒れになったものを、多かったのではないでしょうか、振り返って自己を見つめてこそ新年の詞(ことば)があるように思えます。
人生や世の平穏無事を願いつつも、なお一層の幸多かれと祈るらんとはきれいな言葉ですが。
実は、一休和尚が、「元旦や冥土の一里塚、目出度くもありめでたくもなし」と詠(よ)んだことは有名です。世代は変わってもその意義が解る人であってほしい、およそ信心を心がけようとする者は、仏を疑うべからずとある。先祖も何も無いというのはペケであります。
あるテレビの番組で、百歳のおばあちゃんが出ておられました。司会者が、このおばあちゃんに色々尋ねます。「おばあちゃん、百年生きて来て、つらかった事は何でしたか」「つらい事は何もありませんでした~主人も、舅姑も皆んないい人でした。悪い人なんか一人もおりませんでした」「ご主人が、75歳で亡くなられたそうですが、今逢いたいですか」「そりゃ逢いたいですよ~早く極楽へ行って逢いたいと思います」「もしも・・・もしもですよ、ご主人が極楽ではなくて、地獄へ落ちていたとしたら、おばあちゃんどうしますか」「そんなことはありませんよ~あんないい人が、地獄に落ちているはずがありませんよ」会場から大きな拍手がわき上がりました。百歳を何の悔いもなく生き抜き、この世とお別れする時には、まちがいなく極楽に生まれさせて頂きますという、このおばあちゃんの確信を持った言葉は、会場の人々の心を明るくし、多くの人々に感動を与えました。
帰る所があるという事は安心です。旅行に行っても、帰る家があるから安心して旅が出来るのです。極楽といい、お浄土という世界は、現実的に、実証的に、あるかないかの世界ではなく、尊く心の中に頂く世界であり、これを妙有(みょうゆう)、つまり~真(まこと)の理(ことわり)が永遠に存在する世界ともいいます。この世の命が終われば、この命を戴いた本源のお浄土へ帰らせて頂く。この確かな心が、百歳のおばあちゃんを、何の不安もなく、生き生きとさせているのです。生の向こう岸に、明るいお浄土を戴くことによって、こんなにも明るく生きることが出来るのかと、おばあちゃんの姿に、改めて教えられました。
愚かな回り道を通って、いたずらに日月を費やすのみであります・・・
御先祖さまに感謝し今年もどうぞ見守って下さいと、四方の神仏に祈り、心機一転、区切をつけてサア~元気に出発しましょう。
雑巾が あちらふくふく こちら福々(ふくふく) 心をみがいて本年もまいりましょう。
でわ~また・・・