いのちのバトン
私が入院をしていた時に、若い看護師さんが、「患者さんは、お坊さんのようですが~」。「ハイ、そうです」。「あぁ~よかった」。お聞きしたいことがありますが、よろしいですか・・・」その看護師さんは時計を気にしながら、「実は、私のおばあちゃんが昨年78歳で亡くなりました。

私は子供の頃に両親を亡くし、おばあちゃんが育ててくれました。とてもやさしく、信心深く、何事にも親切で、隣近所評判の良いおばあちゃんでした。朝夕はかならず、仏壇でお経を唱えていました。秋の夕方突然に倒れ、その一週間後、ありがとう、アリガトウ、と言いながら息を引き取りました。
一番可愛がってくれたおばあちゃんに、何か供養になることをしてあげたいと、好きだったお経を習いましたが、むずかしくてできません。「どうしたらよいでしょうか」・・・。「あなたのおばあちゃんは、偉い方ですね」。「最後のありがとうの一言は、手塩にかけて育てた、可愛い孫の貴方へ、ありがとうと言えるような、人になっておくれ、と願いをこめたお別れのことばですよ」。
お釈迦様は、「身(からだ)に常に慈(いつくしみ)を行い、口には常に慈(いつくしみ)を語り、意(こころ)には常に慈(いつくしみ)を念(おも)うがよい。善くこれを行ったならば、功徳と知恵は、日に日に長じて行くであろう」とお説きになりました。
「貴方がありがとうの念(おもい)をかたときも忘れることなく勤め、懸命にされたならば、おばあちゃんはきっと喜び笑顔が目に浮かんできます。これこそ最高の供養ですよ」と伝えました。
いのちの繫がりと言えば、「父と母で2人 父と母の両親で4人 そのまた両親で8人 こうして教えてゆくと 10代前で 1214人 20代前では・・・
なんと 100万人を越すんです 過去無量の いのちのバトンを 受けついで いま ここに 自分の番を生きている それがあなたの生命(いのち)です」
相田みつおさんの詩に「自分の番」というのがありました。
私たちは自分の意思でこの世に生まれ出たのではなく、私たちの生まれる前には、すでに数えきれない程多くのご先祖さまがいらっしゃって、その生命の流れが、今の私として現れ出たのです。私たちのこの命は、自分だけのものではありません。大勢のご先祖さまの命を受け継ぎ、その命をこの世でにない、更に次の人に渡すとという役目をになっているのです。
命を使うと書いて使命といいます。私たちの人生の目的は何か、生きる意味は何なのか~この命を何に使うのでしょうか。ご先祖さまから受け継いだこの命を、私たちは一生かけてどのように使うのかによって・・・その内容によって、その人の人生が決まって来るように思います。
ご先祖さまから受け継いだこの大切な命を粗末にすることなく、意義あることに使って行きたいものです。そうした生き方こそが、いのちのバトンを受け継いだ者としての使命なのです。
祖先の祖と孫と書き「祖孫(そそん)の流れなくして、つづまって我にあり」と言います。このいのちのバトンを受け継いだものとしての使命を自覚して生き、次の人に堂々とバトンを渡したいものです。
(金子みすず)さんの詩をバトンにしたいと思います。
わたしがさびしときに よその人はしらないの わたしがさびしときに お友だちはわらうの
わたしがさびしときに お母さんはやさしいの わたしがさびしときに ほとけさまはさびしの
ではまた・・・祈り