煩悩と祈り | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
今月の法話
今月の法話
26/01/01

煩悩と祈り

新しい年を迎え、干支「午うま年」は~馬の持つ躍動、行動力、勢いを象徴する年と言われています。

謹んで新年のご挨拶を申し上げます・・・ 頓首

仁和寺をご開山された宇多法皇のお言葉に「空海の弟子である私は、かつて天皇であった時、人々のなす悪行は、全て自らの責任として、受け止めて来ました。しかし、今は仏の弟子となって、一身に善業をなし修行懺悔し、あまねく人々の「利益」(りやく)となる事を祈る」・・・とご文(もん)に残されました。 

時に・延喜(えんぎ)4年(904)3月のお話しです~今も変わらず祈り続けて頂くお心を想えば有り難く・・・本年から数えて1122年前のお話しです~歴史を顧みれば感慨深いものを感じます。

さて~中国の有名な詩人の白楽天(772)が、道林というお坊さんに~「仏教とはどのような教えですか・・・?」と尋ねたら・・・それは「悪いことをせず、善いことをせよ~という教えです」と答えられたので~思わず・・・「そんなことは三才の子供でも知っている」~と言いました・・・

それに対し、道林和尚さまは静かに「三才の子供でも知っていても、八十才の老人でも出来ないものだ・・・」と諭されたそうです。このように判っていても現実には、そうさせない汚れた心が私たちの心の内にあり、その心を~仏教は問題にしてきたのです。

つまり問題は、外部にではなく自分の心の中にあったのです・・・その汚れた、鬼の心がいわば冷たい~暗い心の冬の状態を創り出しているのです。だからこそ、その心温かい、明るい状態に変えていくことが仏教の課題であります~その解決のための行いを古来より修行というのです。

年の老若にかかわらず、本年も心に神さま仏さまを迎え、心も冬から春へと目標を持って行きましょう・・・・

私たちは、自分自身を振り返れば、煩悩の渦巻く世間に日々身を置いています~人間の住み家は、四苦八苦の世界であり、欲の渦巻く世界に生まれてこの世界に死んで逝(ゆ)く・・・というように、われわれの欲望とか煩悩を密教(みっきょう)は否定しない。われわれの煩悩は、汚れたものといわれているが、「仏」(覚者)になるために必要なもの、煩悩あっての「覚り」であるというのです。

「維摩経」(ゆいまきょう)の中に、文殊菩薩は「煩悩すべてが仏の種(たね)である」と説かれています。現実の我々の生活を見れば、「政治」「経済」「社会」等々不安だらけであり~何を目標にして生活したらよいか・・・迷うばかりで、実は何もない状態であるように想います~私だけでしょうか・・・

新聞紙上を賑わす犯罪、事件も目を覆うばかりで~どうしてこんな世の中になってしまったのか・・・・。

仏教では、煩悩を否定してはいないけれども、「煩悩を畏(おそ)れなければならない」・・・「煩悩は私を破滅に追いやる恐るべき敵」だということも承知していなければ「煩悩即菩提」(欲望や怒りなどの心の乱れがそのまま覚りにつながる)・・・であるとはいえないのです。

新春を迎え、この一年もまた、「煩悩百八っ」に苛(さいな)まれながら暮らすわけですが、この濁世(じょくせ)「汚れた世の中」に押し流されずに生活したいものです。それは、心を外に向け、他の人々の幸福を祈ることが、この世の中で仏になる唯一の道であります・・・・。

皆々さまのこの一年の無事と世界の平和を~仁和寺金堂・本尊  阿弥陀如来さまに祈りをささげます。

 南無阿弥陀仏 南無大師遍照金剛 南無禅定法皇                  祈り