少し欲をつつしむ | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
今月の法話
今月の法話
24/08/01

少し欲をつつしむ

大暑お見舞い申し上げます。

お盆も近づきお寺の僧侶は慌ただしく、お檀家参りに奔走しお盆まではお坊さんのラッシュです。

処で、ご年輩の方々は我が国のあの太平洋戦争終結より80年の月日がたつわけですが、きっと現代の夢のような時代を、改めて幸せだと実感されたのではないでしょうか。

しかし反面、自身を始め子供たちやお孫さん達は、物のあり余った飽食の時代のまっただ中に生きている訳です。

そこで、彼らに伝えて欲しいことがあります~18世紀のフランスの思想家・ルソーは、「子供を不幸にする一番確実な方法は、いつでも、なんでもほしい時には手に入れられるようにしてやることだ」と述べています。

西洋のルソーに対し、東洋の釈尊は、「ほしいと思う心を少なくして、満足することを知りなさい」と、本質的には全く同じことを、いっているのです。物のない、飢えた時代を経験された年輩の方々は、自分の子供には、当時のみじめな気持ちだけは味あわせたくないと~ついついお金や物を、子供にせがまれるままに与えてしまっているのではないでしょうか。

その反動で子供たちは、物をもらえて当たり前、嬉しそうな顔さえしなくなっていませんか~それは、ほしいと思う感覚が、麻痺し始めているからでしょう。

学校では、勉強を教えてくれても、そういう心の教育はなかなかしてくれないように感じています。

そんな思いにふけりながら~縁側の風鈴の音を耳にしながら、フト~いろは歌の音色を思い浮かべました~ご存知でしょうか。「色(いろ)は匂(にお)へど散(ち)りぬるを 我が世(よ)誰(たれ)ぞ常ならむ 有為(うい)の奥山(おくやま)今日越(こ)えて 浅き夢(ゆめ)見(み)し酔(ゑ)ひもせず」ですが、これこそ仏教でもっとも有名な無常の偈(げ)を歌にしたものです。仏典に、お釈迦さまは雪山童子として、前世の菩薩の時代にヒマラヤで修行をしていました。ある時、人生の真理を語る偈(げ)が聞こえました。それを語ったのは人食い鬼の羅刹(らせつ)に身を変えた帝釈天(たいしゃくてん)です。童子はその後の句を教えて欲しいと羅刹(らせつ)に頼みました。すると羅刹(らせつ)は、おまえの温かい血と肉を喰わせろと言います。童子は即座に身を投じてあとの句を羅刹(らせつ)から聞き出しました。

奈良は法隆寺の国宝「玉虫厨子」の台座に描かれています。最初に聞こえた偈(げ)は①(諸行無常)(しょぎょうむじょう)「すべて縁によって生じ、縁に従って滅し、絶えず移り変わって、確実なものは何もない」。②(是生滅法)(ぜしょうめっぽう)「どんなに大事にしても壊れ、どんなに愛しても別れはやってくる」。命と引き換えに得たのは③(生滅滅已)(しょうめつめつい)「目前の移り変わりに惑わされない自分を作る」。④(寂滅為楽)(じゃくめついらく)「苦しみを離れて善い人生を送る道」・・と聞きました。

要は因(原因)と縁(つながり)で世の中が成り立っている、何事にも原因があり経緯があり結果があります。その因果の関係は縁によって変化して行く、この世の中が思う通りにいかないのは百も承知でも、何が原因でこうなったか、「こんなはずではなかったのにと・・・」、感ずるのは私だけでしょうか。

この「仏の法(おしえ)」から離れたものを「滅法」(めっぽう)と言うのです。

子供たちが、幸せを、より幸せと感じられますように、物の有り難さ、先人「ご先祖さま」のお徳と教えを伝えて頂けるような工夫を本年のお盆にも、お心を手向けて下さい。    
猛暑の折ご自愛ください・・仁和寺成就山よりお祈りしています。