蓮池に写る文字 | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
今月の法話
今月の法話
25/06/01

蓮池に写る文字

間もなく夏の季節が☁~~~初夏の風物詩といえば、池に咲く蓮の花。写真やテレビ等で蓮の花が咲いている光景が写し出されます。

蓮の花になぞらえて我々の現実社会を見てみれば~「泥中に 淨白蓮華 紅蓮華」という句があります。蓮の花は泥沼が深ければ深いほど、きれいな花を咲かせます。

これが我々の人間社会と同じように思います~人間社会というのは、迷いや、成せる業(わざ)によって、美しくもなったり、汚濁(おでい)に汚れる社会にもなったりするわけであります。例えば一瞬の原爆投下によって数十万人、数百万人と人の生命が亡くなる・・・これの人間の成せる業です。

仏さまの前で静かに手を合わせて人間が人間らしき姿に立ち返るのも、本来の人間の姿ではないでしょうか。この二つの心を私どもはもっているのです。「この裸鬼と仏が同居する」という或る死刑因の句がありました。まさしく「煩悩即菩提」(ぼんのうそくぼだい)というこの中に毎日の生活を送っている我々であります。

目に見えない~ありとあらゆる天地自然の恵み、そして亡き人、すべてのご先祖さまを供養をするということは、感謝をするという行為であって、亡き人を弔う、亡き人の為にと、人間が人間らしき姿に立ち返る姿でもあります。これこそまさしく蓮の花が泥沼から咲く姿でありましょう。

そんな時、蓮を眺めていると~フト・・・何故か「ホトケサマ・・・⤴」と私の耳にその声が聞こえて来ました・・・普通文字といえば、書いた文字をいうのでありますが、弘法大師、空海さまの文字の解釈&内容は実に広く大きな解釈があります・・・顔色を見る、というのも、顔色、目つき、態度が、その人の心のなかを表現している文字であるからであります。

草木や花は、その色や形や匂いによって、自分の生命を力いっぱい表現している。人間も髪形からお化粧、服装によって、自分を美しく表現しようとしている。花壇、盆栽、生花や、絵画、彫刻、これも文字であり~松風の音も、小川のせせらぎも、小鳥の鳴き声も、優しい和らぎに満ちた声も、怒号も、お話も、歌も、音楽も、それぞれの心境を歌った文字であり~奥ゆかしい微妙なお香の匂いも、あでやかな香水の匂いも、それぞれのかなでる文字であります。

お料理の味は、食べ物の持ち味と、心をこめた人間の腕による文字であり、踊りや、優雅な物腰は、身体の動きによる文字ではないか。心の働きや動きも、目に見えない内にひそんだ文字であるのだと・・・・

そこで~美しい文字を書くか、美しくない文字を書くかは、それぞれの人の心がけと努力によるでしょう。美しい文字を、この身体を通して画きたいものだと考えるとき(素直)~さらに内にひそむ美しい心の文字を~心の世界にも書いてみたいと思いました。

言い換えれば~美しい心の文字を画く・・・これも信仰の醍醐味ではないでしょうか。

      お体お大事に~ではまた・・・・合掌