曼荼羅とわたし
早朝に仁和寺境内を静かに周りを眺めながら歩を進め金堂に向かう・・・・その時ふと脳裏に浮かんだ・・・・

人間の肉体は自然界の一部として生命を頂いている~歳をとる変化など知ることは出来ても、本当の相「すがた」がわからない。だから、何の為に肉体という具体的な身体を頂いてこの世に生まれたのか、真相を知らないでいる。その肉体の持っている眼・耳・鼻・舌・身・意の6識についている認識能力の本能に任せ、執着や欲望のままに迷いの浮き世に沈んでいる。
それらの事柄を仏さまは哀れんで、人の生き方をお示し下さっていることを・・・・。
仁和寺の近くに、花園という地名があり~そこには真言律宗・法金剛院という立派な寺院が建立されています。国の特別名勝にも指定され~仁和寺とも古来より法縁の深い寺院であり、特に境内墓所には仁和寺歴代の門跡「住職」の墓所として御霊が祀られています。ご本堂の庭園には池泉廻遊式浄土庭園「ちせんかいゆうしきじょうどていえん」を鑑賞することが出来、阿弥陀極楽浄土の世界を感ずることができます。蓮の花が現在咲き始め境内そのものが浄土と化しています・・・・
真言宗では~胎蔵界「たいぞうかい」と金剛界「こんごうかい」曼荼羅「まんだら」という大切な教えの拠り所があります。
胎蔵界とは~受容、あらゆるものをすべて無条件に受け入れる心と愛~この世では女性の性の力~喩えるならば蓮の花を現し美しい悟りへの教えを表現する。
金剛界とは~意思、強く輝く意思を貫きそびえていく心~男性的な心を表現する~喩えるならばこの世で一番美しく永遠の輝き変化のない~ダイヤモンドのような悟りへの教えを表現する。
この両者を合わせて一つの宇宙の姿を表現したものが胎蔵界・金剛界の両界曼荼羅「りょうがいまんだら」といい、宇宙の根源である大日如来「だいにちにょらい」という仏で表現をしているのであります。
チベット仏教のマントラ「真言」に~(オムマニペメフン)という真言があります。内容は~全ての人の心の中にある仏性(悟りの種)を開花させる、深い慈悲と知恵を意味し、蓮の中のダイヤモンド~という意味につながります。まさにその内容こそ、胎蔵界は蓮・金剛界はダイヤモンドではないでしょうか・・・・。
この事に気がついたとき~また、時に迷う事があった時こそ、自身を知る事を~弘法大師は(如実知自身)「にょじつちじしん」~実に如く我が自身を良く知る~と言葉を残されました。
今ある自身は、罪を懺悔反省し素直になる事がリセットされた姿と識「こころ」なのではないでしょうか。懺悔反省とは~知って作る罪と知らずに作る罪がある。どちらの罪が重いのか・・・それは、知らずに作る罪の方が重いのです。自身では認識のないまま暮らして来たからなのではないでしょうか。
その懺悔の一方法として人はそれぞれお互いに供養を一つの任務としてご奉仕し、折角の命を力一杯生き抜き~素晴らしい人生経験を宝として、ご両親のご縁を頂いてこの世に命を頂いたのであるからこそ~この世(曼荼羅世界)に感謝して去りたいものです。
猛暑の時節となりました~くれぐれもお身体にはご留意の上お過ごし頂きますよう念じています。
では~また・・・・・ 合掌


