今が一番いい | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
今月の法話
今月の法話
25/01/01

今が一番いい

あけましておめでとうございます。

年があけると、毎年今年こそはよい年にしたいとお互い思うものですが・・・では~あなたの人生にとってどんな時に感じられますでしょうか? 

私がご信者の皆さんの前で、たまたま年齢の話になりました・・・一般には、女性はなかなかご自分の年齢を言われないものですが、その時私の前におられた彼女は少しも、ものおじもせず・・・「はい~私は36歳です」と、・・・スパッと言われました。そのスガスガしさに、「オォ・・・この人は大したものだ」と、思っていたら~さらに「私は今が一番いい時です・・・」と、続けたのです。これで私は完全にまいってしまいました。

彼女の言わんとするところは、決して36歳という年齢だけが一番いい時というのではありません、37歳になれば37歳で、38歳になれは38歳で、「今が一番いい時よ」と、きっと言われると思うのです。人は年齢と共に体は衰えていきますが、心は深く観(み)て感じることができます。70歳になれば70歳の、80歳になれば80歳の体でしかありませんが、心は年齢なりに健康でありたいと思います。

そして「私、今70歳・・・今が一番いい時よ~」とか、「俺、今80歳・・・今が一番いい時だ」とか言ってみたいではありませんか。そのためには自身の心をみつめることが大切です。それこそ、そのものが・・・信仰なのではないでしょうか・・・どうぞ、あなたの信仰をますます深くしていただき、常に「今が一番いい時」と言えるように祈っています。

2025年乙巳(きのとみ)年の本年は、努力を重ね、物事を安定させていく、という意味をもつようです~きっと大勢の方々が希望を持って初詣に参拝されたでありましょう。日頃は寺院や神社にご無沙汰の方も、この時とばかりは何故か足を向けるようです。いつもこんなに大勢のお参りがあったかと考えてしまうのは私だけでしょうか・・・・今一度ここで私達の日頃のお参りを角度を変えて見ようと思います。

私達の日頃の神仏に対する態度はどうでしょうか・・・熱心にお参りしている方々もいますが、多くの方々は「敬(けい)して遠(とお)ざかる」、もっともはっきり言えば、「さわらぬ神にたたりなし」といって、あまり顧みない方が多いのではないでしょうか。

しかし、そんな方々もいったん何か事が起こると、「苦しい時の神頼み」ということになります。そしてお参りしていい結果が出れば、「私が拝んだから、こうなったのだ」と、さも拝んだ自分の力のように考え、神仏のお陰は忘れてしまっているように思えてしまいます。

逆に拝んでもうまくいかない時には・・・「此の世に神も仏もないものか」となってしまうんです。・・・・このように考えてみますと、私達のお参りは全く「虫のいいお参り」で、自分の都合のいい時だけ、都合のいい事を頼むお参りではないか~言い換えれば、勝手なお参りであり、無茶なお参りが多いようです。

お大師さまはそんな勝手なこと、無茶なことを聞いて下さるでしょうか・・・そんな訳ありません。もしそんなことになったら、世の中は横着者であふれて無茶苦茶になってしまいます。そうではなく、此の世は思い通りにならないというのが仏教の考えです・・・自身の思い通りにならなくとも、頑張ろういう生きる力を与えて下さるのが、お参りなのでもあります。本年も我れ自身のお参りの心を反省してみては如何でしょうか。

心は元々「水晶の玉」のように私たちは生まれた時は~無色透明な濁りのない心で生まれた私たちでありました~時とともに、その水晶の玉にホコリがいっぱい付いてくる~そのホコリが煩悩であり欲望であります。その煩悩、欲望を一枚の雑巾で拭いてやる。その雑巾こそが、ご供養でありご奉仕であります。    

こんな(心)を歌ったものがありました~「雑巾があちらふくふく こちら福々」~ 心を拭いてみがいて本年も、「止まる事が少ない」(歩く)たまには立止まってゆっくりまいりましょう。

改めまして・本年もよろしく・・・ 〽〽 今が一番いい 〽〽     仁和の祈りです