~利他行は宇多法皇の願い~
世の中の、あらゆる生きものは、すべて単独では、生きてゆくことはできません。おたがいが助け合い、協力し合ってこそ、はじめて生きることができるのです。
しかし、現実の社会は、他人を無視し、社会環境を無視して、自分だけが生きようとする、自分中心、利己的な行動に走る者が多いのです~一体なぜでしょうか。
分別のある年頃の息子兄弟が、父親の臨終に際し、枕元で父親の葬儀の費用を、誰が負担するかで大喧嘩になったといいます。また、嫁に来て10年目の若妻が、癌で亡くなる寸前に、夫に先祖の墓に入りたくない、自分だけの墓を建ててほしいと、頼んだそうです。
更に、アパートで老人が救急車で病院に運ばれる時、隣の老婆が、私は5年も前から、ここに住んでるいるが、あの老人を一度も見たことがないと・・・つぶやいた。
物質文明の発達により、豊になったはずの生活に、何が起こっているのでしょうか・・・・・
◦◦ 生まれ児が しだい しだいに 知恵づきて 仏に遠く なるぞ悲しき ◦◦
豊かさのなせる業「わざ」は、人に大切な心の故郷を捨てさせるのかと想うと・・・何が不満なのか悲しく淋しくなります。
すべての恵みを受け、そのお陰で今あることのありがたさを知る時、報恩感謝の念「おもい」も持たず、努力もしないで生涯を終わってもよいものでしょうか〽〽〽
ある大学の教授が、豊かになることで、逆に失われていくものは、人々の戒「いましめ」の心であり、社会的には規律がくずれていくと著書にありました。
なる程な~・・・と思わされました。
最近のジャーナリズムをにぎわしている少年少女の非行の中に、それを容易に見つけることができます。
以前私は、保護司の奉仕をしていた時・・・このような非道徳的な青少年たちの指導をしなければないのですが大人である私と、当事者である少年少女たちと道徳や人間の生き方の根本となるものの考えに大きなギャップがありました。中々共通点がなく、話をしていても、判ってもらえないもどかしさを時々感じました。
東南アジア諸国の宗教教育に関するものを拝見すると、タイの国は、仏教が国教になっており、小学校で大人も子供も皆、同じ生き方の根を持つということでありました。
根本はブン(功徳をつむこと)と、バーブ(罪悪をさけること)の2つ~そして、人生に幸福もたらす4ヶ条として、⓵メッター(他者への慈愛)・・・(慈)と云い、⓶カルナー(他者が災厄に合わないことを願う)・・・(悲)と云い、⓷ムティータ(他者の幸運を共に喜ぶ)・・・(喜)と云い、⓸ウバーカ(平静な心の状態を保つ)・・・(捨)と云い、これらが日本に伝えられて四ッの無量心(むりょうしん)と呼ばれる~・慈(じ)・悲(ひ)・喜(き)・捨(しゃ)の利益「りやく」を他の人に心を向ける念「おもい」と行いの教えを云うのであります。
仏教の根本は人の生き方の根底に、利他行「りたぎょう」をおくのです。
我等が日本の現状は、親と子供が別々の物差しで生きているようで、何か悲しくて~とても考えさせられる昨今です。
♪ 徒(いたずら)に すぐる月日はおおけれど 法(のり)「おしえ」を求むる 時ぞ少なき ♬
本年も仁和寺法話ホームページをご覧頂き有り難うございました・・・・・
本年無事の感謝と~宇多法皇のお誓いを顧みて、来る令和7年巳歳~皆々さまのご健勝と~世界の安寧を仁和寺よりご祈念申し上げています。
合掌