夜長の秋に月をながめ・・・
NHK「おはよう日本」のテレビで次のような微笑ましい、大変心打たれる映像が放映されました。
それは、姫路動物園で飼育されている鶴が、遊び場で給餌の係から与えられた餌を食べていると、棚を隔てて傍に野生のサギが舞い降りて来たのです。
すると、鶴はすかさず餌をクチバシでくわえて棚の外のサギに分け与え、共に満足そうで楽しげなひとときを過ごしていた映像でした。
この映像を見て、自身に置き換え、鶴に恥ずかしい思いをしました~と申しますのは、この光景を私たち現代の人間社会と比べて見ると自ら分かることであります。
鶴が与えられた餌を食べるのは当然であり、況やこれを他に施す義務もないわけです。
にもかかわらず、この鶴は自分の権利の一部を棄て、他に施す行為を私たちに見せてくれました。
こんな美しい行為が、人間の社会で、はたしてどれほど見ることが出来ますでしょうか。
施すという美しいと解っていても、なかなか難しいことであるのに、自ら権利を棄ててまで他に施すことは一層至難のことではないでしょうか。
ある仏典に「施す物が無くても、施す人の善行をみて、共に喜ぶ事が出来れば、施す人と同じ功徳を積むことになる」とありました~とても意味深い教えです。
私たちも、いま一度自ら省みて、今私に出来る施しは何かと問いなおしながら・・・・
ふと庭を眺めると~あの猛暑だった本年の暑い夏も終わり、夜になれば~しきりと虫のすだく声が各所で聞こえ~季節の移り変わる姿はまことに時の流れと共に・・・気のせいか早く観じられます。
そこで一向にかかわりなく過ごしている自身を顧みますと~いつか過去に子供のころに聞いた「蟻とカマキリ」の話しを思い出しました。寒い冬に備えて一生懸命働く蟻と、それを眺めて身体をゆすりながら、頭を時々動かしてあたりを見ている~カマキリのお話です。
朝夕の冷え込みに身体をこわばらして動けなかったカマキリも暖かい日が差してきたので少し動いた。鎌をいきよいよく手前に動かして獲物を取る気力もなく、身を守り支えるのが精一杯のようにも見える姿のお話しです。
今、時間と共に年齢を重ねる自分は、気づかずとも知っている心の内は、動きにくくなってか~じっとしているカマキリのような~そんな気がいたしました。
心を落ち着けて、少しまじめな人生の本をひもとくことも秋の夜長にふさわしいことではないでしょうか。
少年老い易く学(がく)成り難し~とか・・・光陰矢の如しなどと申します。
身体は老いてまいりますが人生のなかでこれから味の出てくる~いわゆる精神(心)が落ち着く時期となりたいものです。
今まで支えてもらえた自身のお顔を鏡に写し、笑顔で・・・一言「ありがとう・・」と語りかけて頂いては如何でしょうか。
人生の幸せを感じ、生まれてきたこの生涯に誇りと磨きをかけて輝く、この良き夜長に考えて見たいものです。
ひたすら合掌