歩々清風を起こす
追善供養の席で、既に浄土へ旅立たれた双子の「きんさん・ぎんさん」を話題にしました。
このお二人は、これ程までに人気者となったのは、その笑顔、その言葉に、何ともいえない魅力があったからです。皆さんもこのお二人のように、周りの人達を笑顔に喜ばせるお年寄りになりませんか~どんなに歳を取っても他人さまに施すことが出来るもの、それは「笑顔」であり「やさしい言葉」です。
ある老人ホームのお年寄りのなかには、口を開けば身体の苦痛や不平不満ばかりを訴え、寮母さんたちに嫌われている人がいるかも知れません。そんなお年寄りの部屋には、寮母さんも喜んで足を運んでくれません~ところが、顔を見るだけで楽しくなるようなおばあさんや、話をするだけで心が和むようなおじいさんの部屋には、寮母さんの方から「あの部屋へ行くのが楽しみだ」ということになって、二度のところが三度と足を運んで下さるに違いありません。
「歩々清風を起こす」(ぶぶせいふう)という言葉がありますが、その人が行く処、自然に周りが明るくなり、その人が語れば自然に周りの人が楽しくなり、その人が居るだけで、周りの人々の心が洗われる。そんな人を「清風を起こす」というのでありましょう。
身体の健康管理も、長生きすることも大切には違いありませんが、それにも増して大事なことは、「きんさん・ぎんさん」のように100才を超えても、笑顔や言葉を施し、周りを照らし続ける人生の先輩であっていただきたいと願っています。
此所京都の西陣織の職人さん達が年に1回の旅行を楽しんでいるお話しを耳にしました。
旅行のバスには医者が付いていきます~万一旅行中に病人が出たらすぐ介抱が出来るという会社の配慮によるものです~ある日の旅行のことでした。
バスに乗ったお医者さまは、前の席にいるおばあさんに尋ねました~すると「安楽死できるといわれているポックリ寺へお参りに行くんです」と言うのです。ポックリ寺にお参りに行くのになぜ医者の私が行かなくてはならないのか、私は生命を長く保たせようとする医者なのになんでか・・・あきれたお医者さまは「私は今度休憩所で降ろしてもらいます」と言うと・・・「そりゃ困る・・・あんたについて来てもらわないと安心できん」・・・「じゃ私はあんた方のお守りか・・・でもね、おばあさん、もしこの先にある長い橋が壊れてバスもろとも下に落ちたら、それこそ願ったり叶ったり、ポックリいけるよ」・・・「それとこれとは違う」・・・お医者さまは、すっかりあきれかえってしまいました。
この話をお聞きして、人間の生き方には、罪を背負い、罪を抱きしめて生きている。
実は、その罪に気付きがなく知らず知らずのうちに自身を見失う~今一度自身を振り返り気がつく事を「発心」(ほっしん)と言います。
だからこそ周りの人々に、笑顔、愛語、供養奉仕を以て接することこそ、自身の安心(あんじん)平穏な社会となり世界平和があるとお大師さまは説くのです。
ご縁がございましたら~仁和寺にお参り頂き心安らかな一時をお感じ頂くのも・・・「歩々清風を起こす」(ぶぶせいふうをおこす)如何でしょうか。
合掌