相互供養
上皇后の美智子さまが、インドで行われた皇后時代に国際読書大会でビデオによる基調講演をされました。
「生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つの橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失った時、人は孤立し、平和を失います。この橋は外に向かうだけでなく、うちにも向かい、自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ、本当の自分を発見し、自己の確立をうながしていくように思います」~私達は周りの人たちとの心の触れ合いを求め、それがうまく出来る時に心の平安を感じ、出来ない時に不安を募らせます。人間は人の間と書くように、人の間にあって、周りとの間をうまく保てることが本当に大事だと思います。
あのマザーテレサの言葉に「この世の最大の不幸は貧しさや病ではない。むしろ誰からも自分は必要とされないと感じることである」と述べられました~与えられたそれぞれの人格、役割があり~それ故「必要とされていない人はいない」と言うことなのです。
上皇后美智子さまのお言葉を改めて目にした時、ご自身のお心くばりを語っておられるような気がします。心の橋がかけれた時、かけれなかった時等、何かとおありになられただろうと~それでもたおやかなお姿を垣間見るにつけても、その生き方の誠実さに心打たれます。
お釈迦さまも、自分中心の心をなくし、慈悲の心を通じて周りと協調することの大切さを説法されました。お互いの境遇に応じて、周りとの協調を図り生きることが「相互供養」と弘法大師は説かれました。
仁和寺境内を見回すと~新緑の中に紫陽花の花も、雨に濡れ、ひときわ淡い紫色が誠に美しいものです。
その咲き始めは少しピンク色をしており、時がたつにつれて紫色が微妙に変化してゆきます。そのことから紫陽花のことを「七変化」とも呼んでいます。
仏教では、この変化していくことを「無常」とも「諸行無常」というわけです。この「無常」という言葉には、はかないもの悲しい響きと同時に、変化の妙味ともいうべき、生きることへの積極的な意味があると思います。
それは変化を知ることが救いにつながっている。たとえば、この世に命を受ければ、いつの時か死が訪れ避けることは出来ないということです。
しかし同時に死があるから、その前に、これだけはやっておきたいという勇気も湧いてくるものです。このように死を引き受け、生きることを全うしたいという気持ちが仏、曼荼羅の世界であろうと思います。その生きる勇気をお説き下さったのがお釈迦さまであり弘法大師です。
生きとし生きるものが、自分に与えられた命を、いきいきと生きることが素晴らしいことなのであります。
終わりに、三歳で母を失い、継母に育てられ、十四歳で江戸に出で清貧に甘んじ俳諧修行し、自然をこよなく愛した小林一茶の句を添えます。 ☂紫陽花(あじさい)の末一色(すえひといろ)となりにけり☁
ではまた・・・・