今日の道 | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
今月の法話
今月の法話
23/04/01

今日の道

「二月三月花さかり、うぐいす鳴いたら春の日の、楽しい時も夢のうち、五月六月実がなれば、枝からふるいおとされ、何升何合はかり売り、もとよりすっぱいこの体、塩につかってからくなり、それでも世のため人のため、しわは寄っても若い気で、小さい君らの仲間入り、運動会にもついて行く、ましていくさのその時は、なくてはならぬこのわたし」と明治時代に良く歌われたと言われ、節はわかりませんが、なかなか味わいの深い詩なのでご紹介いたしました。

あれあれ~仁和寺境内も卯月春の訪れの中、御室桜が一面~花曼荼羅となり花びら一枚 々 が仏ボサツの舞う一時にこの詩は仁和寺には少しふさわしくない詩でしたが・・・

何度も読み返していますと大変こくのある歌詞で、あれこれと思いをめぐらしてみますと教えられることが多く人生の一生を梅にたくして、生まれてきたからには苦しみもあり、花の時期もありますが、世の人々のために生涯を終えるのが最高の人生ですよと、それが悔いのない生き方だと結んでいます。

言われてみればご無理ごもっともことであります~なかなかどうしてこのような生き方は並みのことではありません。

先人の思いを心して学び、座右の銘としていつも心において暮らしたいものです。

しかし、人生はいくつかの病との出会いは避けられる事が出来ませんが、一服の薬は命を救い、生きる喜びをも与えてくれます。されど一歩誤ると、人の命を奪い、更に生活に悲劇をもたらします。私たちが常に、何げなく喋る一言も一服の薬と同じように、その一言がその人の心を暖め、生気を与え、奮起もさせてくれます。でも、たったその一言が、人の心を傷つけ、生活を破壊し、時には死に至らしめることすらあります。

過日、体調がきになり、主治医の先生に相談し、胃カメラを呑むことになり検査をしました。その結果「異常なし」と言われ、その一言が、今まで生活に追われて、自分のこと以外考える余裕がなかった私に~両親の事を思い出させてくれました。

その父は厳しく、怖い存在でした~辛いことがあると、「人に出来ておまえに出来ないことはない」と、口癖でした。母は黙々と不平も言わず、よく働き、家事をしながら、無言の教育をしてくれました。「父は照り、母は涙の露となり、同じ恵みに育つなでしこ」

今あるこの身体に育ててくれた両親に、今更ながら「ありがとう」と、心が熱くなりました。「父に慈恩あり、母に悲恩あり、人の世に生まるるは、父母を縁とせり、父にあらざれば生ぜず、母にあらざれば育たず、父母の恩の重きこと、天の極まりなきが如し、かくの如きの恩徳、如何にして報ずべき」。父母恩重経に説かれている言葉の重さを感じます。

今私たちは、生活の豊かさに惑わされて、来た道、ゆく道、同じ道、みんなが通る今日の道、通りなおしのきかぬ道、自分の通る道、通りなおしのきかぬ道、しっかりできているでしょうか。

時節の変わり目お体大切に・・・ではまた。