頭が下がる姿は他を利する | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
今月の法話
今月の法話
24/05/01

頭が下がる姿は他を利する

お元気ですか、雨に洗われた青葉が、初夏の日差しに、キラキラ輝いています。

このごろは、あちらこちらから、藤の花の便りを耳にします。その藤の花の見事な咲きようを詠んだ句に「下がるほど 人の見上げる 藤の花」という一句があります。

「藤の棚から、その薄紫色の花が咲いて、たれ下がれば下がるほど、眺める人々は、賞賛の目で、見上げずにはいられない」といった意味あいの一句です。

又、次の句を思い出された方もおられるかと想像しながら~「実れば実ほど 頭(こうべ)を下げる 稲穂かな」・・・・・

お釈迦さまは、私たちの「おごる心」自慢を二つに分けられました。その一つは、自分をさげすみ卑下したものとして「どうせ、私なんか」といった投げやりな心になる「卑下慢」(ひげまん)、もう一つは、私たちが日ごろ用いる「自慢」の意味の、「私は、私は」と自分を、より高く見せたがる、おごった心「増上慢」です。

そして、特に、そのおごった心を、戒める言葉として、できる人ほど,頭を下げる謙虚な心をもっていることを稲穂にたとえて、「実れば実ほど頭(こうべ)を下げる稲穂かな」と詠まれたようです。

もちろん、人格人柄のできた人だから、頭を下げることができるというだけではありません。いつも反省することを欠かさず、様々なおかげによって、万事営まれていると、感謝しながら生活しているからこそ、成功者となり、人格も敬われ、見事に頭を下げて、咲くことができるのだと~「下がるほど 人の見上げる 藤の花」自然の中に学ぶところは多大なのでありましょう。

仁和寺を建立された宇多法皇が、円堂院というお堂を建立(こんりゅう)されたご文の中に・・・

仁和寺境内に八角堂を建立し、内部には金剛界曼荼羅の成身会(じょうじんね)にあらわれる仏菩薩37尊や、印相や密具を持った本尊を安置しました。

山稜「さんりょう」の近辺を整え、四季に緑をたもつ樹木などを眺める場所を求めました。

その念(おも)いは、崩御(ほうぎょ)された光孝天皇(宇多法皇の父)の意(こころ)を思っての事なのです。今は春、供養法楽は3月26日に行われます。

僧侶を百名を招き、各々心を一つにして、自然の空間を、心静かに思いをめぐらし、そろった美しい声の響きは、風に任せて広くすみずみまでゆきわたり。

醍醐天皇(宇多法皇の子)の仰せにより、舞楽が披露され、それは薄紅色の桜の花びらが盛んに散る頃、夜明けにはウグイスが声をあわせて鳴き、舞の衣(ころも)は桜の花の中にひるがえる。

歌曲のお声が混じる中、いまにも多くの仏たちが騒ぎだし、天上に住むとされる神仏が地上に降りられて、楽しませてくれるでありましょう。

空海の弟子である私が、かつて天皇であった時、人々のなす悪行は、全て自らの責任として、自分の身に受けます。しかし、今は仏の弟子となって、一身に善業をなし修行しているで、あまねく人々の利益(りやく)となることを心から祈ります。と願いご文(もん)の中に記されていました・・・・

互いに幸せを拝み合う姿「相互供養」という自身を向上させ謙虚な人作りこそ仁和の祈りです。

お体大切に~ではまた・・・