あなたの幸福 | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
今月の法話
今月の法話
22/11/01

あなたの幸福

秋も深まりつつある昨今、枝葉からヒラヒラ舞い落ちるものが、お金であったら~せっせと拾い集めニコニコする姿が想いおこされます。

最近の新聞、テレビの報道は財界の金銭問題が取り立たされ、耳にタコが出来るくらいです。今も昔も変わらぬのは、どうも人間の・欲望・なのでしょうか。

ご承知の政財界を始めとする不祥事の続発にしても、所詮は果てしない金銭欲と名誉欲の所産ではないか~「あしたにも、夕べにも、いとなむことは名聞(名誉欲)きのうもきょうも、思うことは利養(金銭欲)」という言葉があります。私たち人間の、いわばカルマ「業」でありましょうか。

ところが、こうした人間の欲があればこそ、科学文明の進歩も経済の発展もあるわけですから、あながち欲そのものを非難し軽蔑ばかりしてはおられません。そのことは、統制経済の国が次々と崩壊して行く反面、自由主義経済の国が著しい発展を遂げている今日の世界情勢をみればよく解ることであります。

つまり、人間の欲をうまく利用した方が、それを制限するよりも、より経済の発展に寄与するということなのでしょうか。

しかし、だからといって欲を無制限に放置しておいたのでは決して真の幸福も繁栄もないはずです。大切なことは「自制」であり「制御」であります。

いくら知識があり技量がすぐれていても「自身を整える」という基本的な人格と「本能を抑える」という理性を持たなければ、それこそ「エコノミックアニマル」に墜ちるのは必然です。

祖師お大師さまの教えに「大欲を持て」と云う教えがあります。まことに欲にも善悪があり、使いようによっては徳にもなるし罪にもなる表裏の理ではないでしょうか。

「そのうちに」という相田みつおさん詩があります。

そのうち お金がたまったら そのうち 家でもたてたら そのうち 子供から手が放れたら そのうち 時間のゆとりができたら そのうち・・・ そのうち・・・そのうち・・・と、できない理由を くりかえしているうちに 結局は何もやらなかった 空しい人生の幕がおりて (頭の上に 淋しい墓標が立つ そのうち そのうち 日が暮れる いま 来た この道 帰れない)。「人間の心には、表面にあるうわべの心と、奥の方にある願いの心と二つある」うわべ心とは、この世はう~んと楽しんだらよい。そのためには、損しないように楽をするように生きようという心です。

しかし、一方、一生に一度くらいは霊場にお参りしてみたいという心もあります。その為には、お金がかかり、石段を登れば体か苦しくなります。損が嫌いで、苦しいことが嫌いなのに「損でもいい、苦しくてもいい、何か心に確かなものをいただきたい」という願いのあるのも事実です。

ところが、この心ははかないもので、なかなか正面きって出てこず、たまに出てきても、やがていつの間にか消えてしまいます。それを、「そのうち」という詩は見事に表していると思います。

つまり、仏の教とは、淋しい墓標が立ってから後のためでなく、今生きている自分の幸せをつかむためのものなのです。欲が無ければ肉体の維持は出来ません~お釈迦さまは「少欲知足」と云う教えをお示し下さいました。欲望を少しこらえ、足ることを知る。ちょうど良い加減の心が教えられた真理なのです。

もう帰れないこの道を、悔いのないよう歩みたいものです。

丁度~お風呂に入って心地良い気分です。

ではまた・・・