春はそこに~花は微笑む | 世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
今月の法話
今月の法話
26/03/01

春はそこに~花は微笑む

  “ 春よ来い早く来い  ♫〽  という歌う童謡があります~だれしも春の訪れを待ちこがれる季節となりました。

春と言えば、万物の芽生え、息吹き、再生といった・・「希望にもえる季節」・・の総称でありますが、さらに「幸福」の別名として、はたまた仏教的にいえば「安心」(あんじん)の世界を指します。

「朝~はやくから日が暮れるまで、わらじばきで春を探し歩いたけれど、どこにも見つけることができず~やむなく我が家に戻ってみると、何のことはない~玄関先の梅の枝に、ちゃんと春はおいでになった」という意味の詩があります。

私たちの日常を反省して見るとき、全くこれと同じようなことが実にたくさんあるように思います。物事が順調の時は、信心ごころの露ほどにもなかった人が、少々我が家に不幸が続くと~途端に右往左往して迷信の教えの因(とりこ)となり、理性どころか常識さえ失ってしまうことがあります。

しかし、少し~冷静になってみれば、病気や肉親との別れなど、いわゆる不幸が少しばかり続くと、自分だけが不幸であると思い込み、さらに悪い方へと考えやすいものであります・・・・決してそんなことはありません。 ☀ 苦しみ、悩んでいる自分自身の足元に、必ず幸せという春が芽生えているはずです。

「冬来たりなば春遠からず」ともいいます。「朝の来ない夜はない」という素晴らしい言葉もあります。

私が学生時代~先生から武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の「人見るもよし 見らざるもよし 我は咲くなり」という言葉を教えて頂きました。

玄関や応接間に立派に飾られ、皆からほめられるから、花はきれいに咲いているわけではありません・・・また野道にひっそり咲いて、誰にも見られることがないからといって、きれいに咲かないわけでもありません。

花は人や場所に左右されることなく、いつ・いかなる場所でも精一杯咲いています。人に左右されるのではなく、自分は自分のつとめを一生懸命行うことの大切さを教えられ、私は以来この言葉が大好きです。

しかし、人間はなかなかこうはいきません~好きな人が来れば~良い笑顔になりますが・・・嫌いな人が来ればいやな顔になります。ほめられればうれしくなり、けなされればムッ~とします。

このように相手により、コロコロ変わる私たちに対して、お花は自ら常に精一杯咲くことにより、無言のうちに人生の「あるべき念(おも)いと姿」を示しています。

だから私たちはきれいな花を見ては、自分の心を反省するのです~私たちが花を見るときは、両眼(りょうめ)で花の美しさを見るだけでなく、心の眼(まなこ)その奥にある花のいちずさを見ることが大切なのだと思います。

花の道を習う人の心得は、「花を生けるとき、花の顔を見ても笑っている~振り返って、そこにいる人の顔を見て笑っている~そういう人になるように花を生ける」と~その思いと行為が大切だと聞きます。

私たちもきれいな花を見たとき、自分の心を反省すると共に、お花のように~いつもニッコリ笑顔の~ほとけさまのように~そんなお彼岸でありたいものです。

  人みるもよし 見らざるもよし 我は咲くなり・・・・ 人の振り見て 我が振り なおせ

 明るい明日を信じて強く生きたいものです。  では~また・・・・ 合掌