心にお寺を建てる

ある尼僧さまが「一人一寺運動」という活動のお話しをお聞きした事があります。これは自分の心の中に寺を建てて、自分で名前をつけるそうです。
又、あるご住職は心の中に床の間を作り、心の支えとなる杖言葉を掛け~軸にして掛けなさいと申されました。
自分の心の中の掛け軸だから、誰の書でもどんな言葉でも自由です。また、いつ掛け替えても構いません。
あの阪神淡路大震災の大災害で神戸の人達は・・・【頑張ろう!神戸】・・・を杖言葉として頑張りました。
あなたも心の中にお寺を建て、心の支えとなる杖言葉を~そのお寺の床の間に掛けてみてはいかがでしょうか。
ところで、心の寺とか、心の床の間などと、人によって言い方は違いますが、その言わんとするところは皆一緒なのであります。
つまり、私達の心の中にはお寺や床の間に比較されるような立派な心があるんだぞ~それに早く気づけよというのです。
その心の奥底には影響されない立派な清らかな心、いわゆる仏心があるのです。この事に気づき、その心を基に生きなさいよ~と言っておられるのです。
私は40代で父親を亡くしました。その時、それまで親に甘えてきた自分を反省し、励ますために、私の尊敬する方の書を中門に「直心庵」(じきしんあん)と刻みました。
つまり「素直な心の庵(いおり)」という内容です。この門を通る度に「心が清められ・素直になる・・」と思っています。
人間は弱いものです~でも心の中には必ず悪心があります~でも・・でも・・仏心(素直な心)があることを信じ、心にお寺を建てたり、掛け軸を飾って見ませんか・・・
私が住まいをする近所に、気心がしれたお年寄り六人が共同で暮らす、グループハウスがあります。そんな場所でも、ささいなことで、もめごとがおこるそうです。
話しを聞けば、食事の時に席をかえてとか、お風呂の順番を先にしてとか、あの人の掃除の仕方は下手だ等と、細かなことが共同で暮らすうちにいろいろ出てくるようです。そうしたもめごとを、月二回開く会合で話し合いをするそうです。
でも、実は問題にきりはないんです。ある時、口ゲンカが始まり、なかなか終わらない時、そこに住む中で最高齢の九十才のお婆さんが「いい年して、ひがんだり、焼きもちやくのはやめよう」と言ったら、皆シーンとなったそうです。
誰もがこのグループハウスを・(終の住処)「ついのすみか」・にしようと思っているから、それ以上言ってはいけない事をわきまえているというのです。
また、ある老人ホームにいる百才のお婆さんは、いつも「おかげさま」という言葉が自然に出でくるそうです。「私が歩いていると、犬まで道を譲ってくれます」と言って笑われています。また十年以上の老人ホーム生活の中で、一度もトラブルがないそうです。
例えばクーラーや暖房を、いれる季節になると、涼しすぎるとか暑すぎるという各人各様が出ますが、この方は「同室の人に合わせています。涼しかったら上着を一枚増やせばいいし、暑かったら薄着をすればすむことです」と言って、一度も苦情を言ったことがないそうです。「年はとっていますが、現在の若い方と違って、何事にも辛抱出来ます」とも言われ、お年寄りのお手本みたいですねと言われると、「これは年をとった者のつとめであると思います。そうでないと、年をとった者の値打ちがないでしょ~」と答えられました。
私たちは間違いなく年をとっていきます。ならばこれらの方々のように周りを思いやる心の柔らかさをもち、年をとっただけの値打ちがあるような生き方をしたいものです。 心にお寺を建て、掛け軸に【直心】(じきしん)と書けば~いかがでしょうか~素直な心こそ美しいものはないのでは・・・・
仁和寺の境内は紅葉の美しい曼荼羅模様です・・・仁和寺山門をくぐりご参拝お待ちしています。
ではまた・・・・


