小川のせせらぎ
私は、高野山での修行中、又奥の院での参拝中、玉川の周囲から岩清水の流れる音が耳に入りました。
高野山の四季は、その水の音と共にお大師さまの出会いがある。正に天地「あめつち」の恵であり、こころ静寂の世界に遊戯三昧「ゆうげざんまい」に任せた経験が想い浮かぶようです。
1969年昭和44年7月20日、月面に着陸したアポロ11号によって、人類は初めて別の天体から地球を眺めることが出来た。更に70年代も後半に入ると、人工衛星からの地表探査によって、地球環境の情報が集まるにつれて自然破壊が急速に進んでおり、大地が荒廃し飢餓や災害規模の拡大という形で我々にはね返って来ている。
そこで、われわれの人生は、「小川のせせらぎ」によく例えられる。小川のせせらぎのように緩急自在「かんきゅうじざい」ならば何の問題もないのですが、「四苦八苦」の娑婆世界、次からつぎへとさまざま事件が起きる。凶悪犯罪が拡大し止まることがない、人の命を簡単に奪ってしまう。
世の中一体全体どうなっているんだろうか・・・・我々宗教家も他山の石のように眺めておらずに行動を興す必要は必定であります。現在の日本人の倫理、道徳は何処「いずこ」にいったのでしょうか・・・・善悪の是非等々けじめをつけないと「小川のせせらぎ」自然体に人生を過ごすことは困難であります。
今こそ「お大師さま」のみ教えに耳を傾け、自然「じねん」と一体になる心を養わなければならい。
例えば、お大師さまの教えの中に、声字実相「しょうじじっそう」と云う教えがあります~文字の意味は実に広く大きい・・・顔色を見る、というのも、顔色、目つき、態度が、その人の心のなかを表現している文字であり、草木や花は、その色や形や匂いによって、自分の生命を力いっぱい表現している。人間も髪形からお化粧、服装によって、自分を美しく表現しようとしている。花壇、盆栽、生花や、絵画、彫刻、これも文字と言えましょう。
松風の音も、小川のせせらぎも、小鳥の鳴き声も、優しい和らぎに満ちた声も、お話も、歌も、音楽も、それぞれの心境を歌った文字であります。
奥ゆかしい微妙なお香の香「かお」りも、あでやかな香水の匂いも、それぞれの奏「かな」でる文字である。お料理の味は、食べ物の持ち味と、心をこめた主婦の腕による文字であり、踊りや、優雅な物腰は、身体の動きによる文字であり、心の働きは、目に見えない内にひそんだ文字であります。
今こそ「お大師さま」のみ教えに耳を傾け、自然「じねん」・・・自然そのものが実は仏であり自身と一体ですよと説かれました。
美しい心の文字を画く・・・これが信仰の醍醐味ではないでしょうか。
この世で一番お世話になっている体です~くれぐれもお体大切に・・・祈り ではまた・・・ 合掌